ジモシルウォークvol32
前島記念館
下池部にある「前島記念館」に行ってきました。
前島記念館は本館と別館があり、本館では前島密の一生と功績、別館では郵便制度の歴史や前島密の一生をまとめた15分ほどの動画を見ることができます。ちなみに、本館別館ともに入館料無料です。
記念館に来るまで、前島密は「郵便の父」であることはそれとなく知っていましたが、記念館で密は「日本文明の父」であることがわかりました。
功績を列挙すると①漢字廃止を建議②江戸遷都を建議③鉄道敷設の資産④郵便事業の創設⑤新聞事業の育成⑥陸海運業の振興⑦郵便為替・貯金⑧訓盲院⑨東京専門学校(現早稲田大学の前身)の設立⑩勧業博覧会の開催⑪海で働く人たちの育成と福祉の充実⑫電信・電話の開始…と多いですよね。
各功績に関して、概要の説明と功績に関する実物の資料が展示されているので、イメージもしやすかったです。
また、記念館館長である利根川館長から説明をいただきながら、記念館を巡らせていただきましたので、展示には書かれていない前島密に関する情報をお伺いすることもでき、前島密に関する理解が深まりました。お忙しいところご案内いただきまして、心から感謝しております…!
近代日本の礎を築いた偉人が上越にいることに気づけた充実したジモシルウォークでした。前島密に関する本を読み、理解を深めたらまた行きます!
ジモシルウォークvol31
田端町跡
高田の仲町3丁目周辺を散策してきました。この仲町3丁目周辺は、江戸時代では「田端町」という名でした。
もともと田端町は、現在の直江津港町にあった福島城の城下町にありましたが、高田城築城の際に高田に移りました。この移転前の福島城下町の時から、生魚等の販売独占権を藩主から付与されており、高田移転後もこの特権を維持していました。そのため、沖で水揚げされた魚は、田端町に運び込まれ、城下町の台所してにぎわっていました。
このような町の特徴があったから、現在の仲町には、「宇喜世」や「長養館」などのお魚を振舞う割烹旅館やお店が多くできました。
今度、これらの旅館に泊まって、歴史を感じながらほのぼのしてみたいなぁ…!
ジモシルリーディングvol.10
『なおえつものがたり 地域のたべもの編』
この本を読んで、行事食である「川渡餅」「お強の餅」や上越のサメ文化を勉強することができました。
11月30日・12月1日に食べる「川渡餅」、3月31日・4月1日に食べる「お強の餅」この二つは上杉謙信が深く関連しています。
「川渡餅」は川中島の合戦の際に、出陣前夜に兵士に餅を振舞って士気をあげ、濃霧の夜中に川を渡り武田信玄を攻め勝った武勇にあやかったものです。
「お強の餅」は雪解けを待って出陣する兵士にゲン担ぎとして初草を入れた餅を振舞ったとされる話がもとになっています。また、「お強」は「おたち」とも読み、「もっと食べて」という上越の方言「おたち」とかけているそうです。
そして、上越にはサメを食べる文化があり、年取り魚として食べる地域でもあります。この文化ができた背景として、江戸時代において、幕府が清(現在の中国)との交易の品であるサメのヒレを獲って加工することを推奨し、高田藩はそれに協力し、地元漁師にサメを獲るようすすめたからという説があります。また、サメは水揚げ後、体内でアンモニアが生成されることから、雑菌が繁殖しにくく、生魚のまま保存がきくため、重宝されたことも理由のひとつかもしれません。
餅やサメ文化以外にも「のっぺ」や「クジラ汁」等があります。地域の方々に聞き込みをしたら、自分の知らない地元料理がもっとあるかもしれません…!